尾上 宗西Sosai Onoue
- 宇治市 | UJI
- 石州流 | SEKISYURYU
2014年に京都・宇治の平等院で茶房の立ち上げに参画し、10年以上にわたり現在も茶房長を務める。2023年からは平等院近くの茶室「松香庵(しょうこうあん)」を主宰。茶道のお稽古や体験を提供している。石州流の茶道と二條流の煎茶道で教授者の資格を保有。過去に茶農家や上生菓子工房で働いた経験を活かし、実体験に基づく独自のお茶を追求している。
宇治のお茶室 『松香庵』
言わずと知れた高級茶「宇治茶」の産地である宇治市。尾上さんはこの地に根ざして10年以上活動しており、現在は平等院と松香庵の二つの場でお茶を提供されています。
茶道のお稽古や体験を提供するため、2023年に尾上さんが設立した茶室「松香庵(しょうこうあん)」には、海外からの観光客を中心に様々なお客様が訪れます。
尾上さんのこだわりが垣間見えるのが、お茶室の隣にある部屋の壁と「違い棚」の設えです。「違い棚」とは、2枚の棚板を上下左右にずらして取り付けた飾り棚のことで、一般的には床の間に設けられることが多いもの。
「今の暮らしではあまり見かけなくなったからこそ、あえて取り入れたかったんです」と尾上さんは話します。
また、壁面には「腰張り」と呼ばれる和紙が使われていますが、こちらにも工夫が。通常は横向きに貼られることが多い腰張りを、あえて縦向きに貼ることで、よりモダンで洗練された印象を演出しています。
お庭では、ランドスケープ研究の一環として東京大学の研究室とプロジェクトが進められているそう。
こだわって選んだ鞍馬石のつくばいや、梅と橙の木の植えられたお庭。まだ完成途中で、これから少しずつ変化していく面白さがあります。
武家茶と侘び茶の融合
尾上さんのお稽古で教わることができるのは、石州流。4代将軍徳川家綱公の前でお点前を披露してその地位を確立した、片桐石州(かたぎり せきしゅう)が始めた武家の茶道です。
「片桐石州は、千利休の子・千道安(せん の どうあん)に師事した桑山宗仙(くわやま そうせん)から茶を学んだ人物です。そのため、利休が大成した古典的な侘び茶と、大名らしい格式を備えた武家茶の特徴がほどよく調和している点が特徴です」
石州公の道具はとても繊細だと話す尾上さん。
「美意識が非常に細やかだった方なのだろうと思います」
和やかに茶道を学ぶひととき
お稽古の様子も見せていただきました。
社中さんは宇治市内だけでなく京都市内や大阪府からも集まります。この日は若い男性と女性のお二人がお稽古にいらっしゃいました。
過去には京都市内でも出張稽古を行っていたとのこと。煎茶道の資格も持つ尾上さんは、煎茶道を習いたい方がいればその想いにも応えていきたいと話します。
その日のお稽古は、お茶室への入り方から始まり、掛け軸の説明へと進んでいきました。
お茶室の襖を開けた後、敷居の真ん中に扇子を置く石州流。お茶室に入る前から、千家のお茶と石州流の違いが見て取れます。
社中さんの中には去年からお茶を習い始めた方もおり、作法を部分ごとに少しずつ学べる「割稽古(わりげいこ)」が丁寧に行われていたことが印象的でした。少人数制で、尾上さんの目が細やかに行き届いています。
「習い始めて間もない方も多いからこそ、お点前を覚えることが目的になったり、稽古前に心がそわそわしたりするのではなく、ほっとする時間を持っていただけるように心がけています」
自ら体得していくお茶の智慧
そんな尾上さんに、お茶をする上で大切にしていることを伺いました。
「本を読んで知識を学ぶことだけでなく、自分自身で経験すること」を重んじていると語る尾上さん。
禅語の「教外別伝不立文字(きょうげべつでんふりゅうもんじ)」を引用し、次のように続けます。
「経典に書かれたことを学ぶのも大切ですが、不立文字という『自分自身で体得しなければならない』という教えが腑に落ちたので、できるだけ体得したことをお茶に活かす方針で取り組んでいます」
幼い頃の茶の記憶
実体験を大切にする姿勢は、人生のあらゆる選択にも表れていました。
最初にお茶に惹かれた原点は、大阪で過ごした幼少期にありました。裏千家茶道の先生だった大叔母の影響で、子どもの頃から茶に触れる機会があり、日常の中でお茶が身近な存在だったとのこと。
「大叔母の家を訪ねると、いつも急須で丁寧にお茶を淹れてくれて。食後には、ほんのり薄くなった煎茶をお茶碗に注いで、『ごちそうさま』と手を合わせる。そんな静かな時間が、日常の中に当たり前にありました」
「自宅ではしていなかった非日常体験を大叔母の家で体験させてもらえたことで、お茶を飲む空間やそこで過ごした時間が、ずっと心に残っていました。
その時に感じたお茶の魅力を誰かにも体験してもらうことが、自分が人のためにできることなのではないか。それなら頑張れるのではないかと、そう思ったんですよ」
お茶の仕事までの道のり
こうして、お茶を仕事にしようと決意したのは大学時代のこと。
学生時代に見返した卒業文集の将来の夢には、「サッカー選手になりたい」と並んで「抹茶のお店をやりたい」と書かれていたそう。
「どこか潜在的にそういう思いがあったのかもしれませんね」
学生時代にはすでに、いつか自分の茶道の稽古場を持ちたいという構想を描いていました。将来の礎を築くため、まずはお茶の現場を知ることが必要だと考え、20代はお茶に近い場所で働くことを決意します。
「大学に通いながら、生産農家で数シーズンもお茶づくりを経験しました。一緒に仕事をしながら、お茶ができる過程を体感しました」
さらに大学卒業後は、お茶を教える際により奥行きのある視点を持てるよう、和菓子職人の工房で約3年間修行。
「お茶席に欠かせない和菓子を作る職人さんの思いだけでなく、季節ごとの意匠や、お茶の先生が求めるものも、作る側として知ることができます。こういった視点が、将来きっと役に立つと思ったんです」
「お茶の生産農家や和菓子職人として実際に働くことで、その生活に没入することができます。
その仕事の過程や現場の人たちの想いを身に染みて知ることで、お茶や和菓子をより大切に思う気持ちが育まれました。茶人として生産者の想いも伝えていきたいです」
伝統文化の種をまく:次世代にお茶を残す取り組み
お茶を仕事にされた現在も、
新しい取り組みに挑戦している尾上さん。
自身の幼少期のお茶の経験を次の世代にも提供できたらと考え、
華道家の西村良子さんと共に小学生向けの取り組みを始めました。
子どもたちが自ら育てた花を床の間に活けて飾り、
お茶と菓子で一服する活動、
その名も「茶花園芸部」です。
茶道と華道の本質的な要素は「季節感」であると捉え、
子どもが庭の土を掘り返したり、種を撒いたりすることから、
自然と季節を体感しながら成長できるのではないかと考えました。
初回は松香庵のお庭の草を引き、土を耕し、種まきをしたとのこと。
地域の親子連れで賑わう、なんとも意外な日本庭園の活用法です。
子どもたちが成長する中で年少者の指導役となり、
茶道・華道の精神が受け継がれることを目指すこの活動は、
今後も継続的に開催されるとのこと。
「賛同してくださる方の輪を広げながら、
時間をかけて人材育成のサイクルを構築していきたい」
と語られました。
茶巾と茶筅に宿る美
最後に、お茶道具についても伺いました。
朝日焼の春の生命の息吹を感じる薄桃色の茶碗のほか、茶の木の釉薬を使った作品など、比較的小ぶりで上品なお道具が並びます。
お茶の師匠の茶碗から型を起こして作られたプロトタイプの茶碗も見せていただきました。手の収まりが良かったので、型を残して焼いてもらったものだそう。
お気に入りのお茶碗についてお伺いしたところ、「茶碗よりも、ぜひ茶巾と茶筅をご紹介したいんです」と尾上さん。
石州流の茶筅は紐が白く、使い込むうちにお茶の色が染みて生成りのような風合いになるのが特徴。お茶の色が染みた姿やその変化を愛でている様子が伝わります。
「利休の時代には茶巾や茶筅を1回1回新しいものに変えていて、そういったものを見ると心が洗われるような、気が引き締まる思いがします」
「私の師匠は本当に尊敬できる方でした。お茶人とはやはり、その人だけの体験や生き様が表れるものだと思います」と語る尾上さん。
茶巾と茶筅に美を見出す人柄を感じに、ぜひ松香庵を訪れてみてはいかがでしょうか。
- 尾上 宗西Sosai Onoue
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稽古場:京都府宇治市
https://www.shokoan.com
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