【宗慎茶ノ湯噺】其の四 皐月 端午の節句


現代のライフスタイルに即した新しい茶道の愉しみ方をご提案する、中川政七商店グループの新ブランド「茶論(さろん)」が月一回お届けする「宗慎茶ノ湯噺」。第四回のテーマは「端午の節句」です。


五節句の一つ「端午の節句」

五月五日は、端午の節句。三月三日の上巳の節句と同様に五節句の一つです。五節句とは何か?その細かな解説やこぼれ話はまた別の折りに。ともかく今回は五月五日「端午」、それも付きものの菓子の逸話をお伝えしたいと思います。

端午の節句 は「男の子の節句」としても知られていますが、もともとは今でもあちこちで見かけるように兜を飾る風習はありませんでした。時は奈良時代、旧暦だと季節の変わり目で体調を崩しやすい六月にあたるこの時期に、貴 族たちが厄除けや健康祈願を行ったのが事の起こり。その後、鎌倉時代になると、菖蒲を同じ読みの「尚武」になぞらえ、武家が家門繁栄や子の成長を祈る儀式として祝うようになりました。やがて江戸時代以降、宮中や武家だけではなく、町人も参加できる行事として親しまれるまでに広がりました。

今もわれわれの身の回りに残る年中行事は、その起源をたどると往々にして“加減が、加減”。中国からもたらされた習慣に加えて、日本固有の宮中の習わしや、武家の故実が重ねられ、大胆にごちゃ混ぜにすることで生まれたものがほとんどです。これも日本の和(あ)える力。


粽(ちまき)の起源

端午の節句に欠かせないお菓子が、粽(ちまき)と柏餅です。関東では武家の習慣が由来の柏餅が主流。一方、関西では端午の節句といえば粽を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。粽は、餅米を竹で包んで蒸しあげた中華ちまきが起源と言われています。その粽が端午の節句を代表するお菓子になったのには、深い歴史があります。 

中国の楚(そ)の時代に、屈原(くつげん)という政治家がいました。屈原は、とても気骨がある人として知られ、わが身の危険も顧みず当時の王の間違いを正そうと諫言したことによって左遷の憂き目に。果たして楚国の将来に絶望した彼は、苦慮の末、川に身を投げてしまいます。そうした屈原の不撓不屈の精神を描いた、と名高い日本画の名作が横山大観の「屈原」(厳島神社蔵)です。

入水自殺したのは、ちょうど端午の時期だったという屈原。彼のあまりに不幸な死を悲しんだ町人たちは、当時何よりのご馳走だった粽を川に投げ入れ、屈原の霊を慰めようと供養しました。また、屈原の遺体が見つかるまで魚に食べられてしまわないように粽を川に撒(ま)いたという言われもあります。以来、端午の節句の捧げものとして、粽が用いられるようになり、やがてその風習が日本に渡り、お餅を笹や竹の皮で包んで蒸した現在の粽が生まれました。
 


柏餅の起源

他方、関東で親しまれているのが柏餅です。お正月に飾られるゆずり葉などと同様に、柏の葉は若葉が出るまで大きく育ち続け、前の葉が落ちると次々と譲られるように新たな葉が生い茂ります。このことから、江戸の武士たちが家門繁栄・子孫長久を祈願し、柏の葉で包まれたお菓子でお祝いをするようになりました。それは先人の知恵。当時、貴重なお米を使って作るお餅は、 お節句や大事なお祭りのときなどに食べる大事なご馳走です。とはいえ、餅そのものの味や甘さに変化をつけることは難しい。そこで、添えられる葉一枚を時候のものに工夫することで、柏餅や椿餅という風に名前を変え、季節感や愉しみを増し加え、演出しようとしたのです。なお、当時から、柏餅に味噌や塩の餡が用いられることがあったそうです。 とにかく砂糖は入手困難な貴重品でした。
 


孔明と饅頭(まんとう) 

他にも、中国の偉人とお菓子に関係する興味深い話があります。たとえば、饅頭(まんじゅう・まんとう)を考えたのは、中国の三国志でお馴染みの諸葛孔明だと言われています。昔、荒神がいるとされる川を鎮めたいと思った町人たちが、祈りの儀式を捧げる際に人間を生贄にしようとしました。それを知った孔明が、そんなことをする必要はない、代わりに小麦粉をこねて人の頭の形にし、中に牛や馬の肉を詰めたものを用意しなさいと町人たちを説得し、最高のご馳走であった饅頭(まんとう)を捧げさせたそうです。人間の代わりに美味しいご馳走をお供えし川に流せば、荒神も喜ぶはずと試したところ、氾濫がおさまりました。それ以来、人間が生贄として捧げられることはなくなり、代わりに饅頭が川に流されるようになったと言われています。なお、饅頭は饅に頭と書きますが、これが肉饅頭、いわゆる肉まんの由来です。日本では、頭を「ず」と読むことから、「まんず」と呼ばれるようになり、次第に現在の「まんじゅう」に変わっていきました。
 

 

木村宗慎(きむら・そうしん)
1976年愛媛県生まれ。茶道家。神戸大学卒業。少年期より茶道を学び、1997年に芳心会を設立。京都・東京で同会稽古場を主宰。その一方で、茶の湯を軸に執筆活動や各種媒体、展覧会などの監修も手がける。また国内外のクリエイターとのコラボレートも多く、様々な角度から茶道の理解と普及に努めている。 2014年から「青花の会」世話人を務め、工芸美術誌『工芸青花』(新潮社刊)の編集にも携わる。現在、同誌編集委員。著書『一日一菓』(新潮社刊)でグルマン世界料理本大賞 Pastry 部門グランプリを受賞のほか、日本博物館協会や中国・国立茶葉博物館などからも顕彰を受ける。他の著書に『利休入門』(新潮社)『茶の湯デザイン』『千利休の功罪。』(ともにCCCメディアハウス)など。日本ペンクラブ会員。日本食文化会議運営委員長。


 

その他の記事

お知らせTOPに戻る